(積み上げた物の崩れる音がした)
半刻程前にふらりと現れ己を腕に閉じたまま、身じろぎ一つせず黙りこくる男へ小十郎は小さく溜め息を吐いた。
宥めすかそうが脅しをかけようが、うんともすんとも口を開かぬ男だったが、長年連れ添った身から察するに何やら悲しんでいるらしい。
唯一動かせる土まみれの片腕で柔らかく男の手を撫で、どうしたのかと問えば、背に負う男はひくりと身体を震わせた。
「家に帰ってたんじゃねえのか」
忙しいから一度向こうへ行くと姿を消して、まだ半日も過ぎていないと言うのに。
何れにせよ向かい合わねば話もできぬ、と。
張り付く男の腕をほどくため俯いた小十郎は、腹に巻かれた腕を覆う衣の色が常より変わっていることに目を瞬いた。
「おめぇ、羽織はどうした」
「……いらないからすてた」
「あれだけ大事にしてたものをか?矜持だと言っていただろう」
「すてた」
埒のあかない問答に痺れを切らし、小十郎は男の髪を一房ぎちりと引く。
痛みの声を上げること無くあっさり離れた男は、案の定と言おうか、なんと言おうか。
美麗なかんばせをぐしゃりと歪め、大粒の涙を音も無くぼろぼろと流していた。
あぁ、あぁ、鼻水まで垂らしやがって。
小十郎は頭の手拭いを取り、童のように号泣する大の男の顔をごしごしと拭った。
多少汗くさくて目に染みるだろうが、頑丈な男だから平気だろう。
「い…た、痛い小十郎、痛い」
「わかったわかった。何で羽織捨てたんだ」
男の手を引き縁側へ腰を下ろす。
赤いんだか群青いんだか判らない瞳を潤ませた男は、小十郎の手拭いでちゃっかり鼻をかんで、ぐずぐずと濡れた声で話し出した。
「帰ったら、知らない女の子が俺の部屋に居たんだ。弟も部下も俺のこと忘れてて、お前なんか知らないって刀向けられた。私達には兄なんか、居ないって、」
「家間違えたんじゃねえのか」
「そんな訳…!」
無いもんとしゃくり出す男の背を擦る。
黒い衣が所々汚れ裂けているのはその所為かと得心し、小十郎は目を細めた。
「だ、れか、わかんない子が、此れは私のモノだって、家族も、仲間も、世界も、私のものになったんだって笑って、俺はニセモノだから要らないっ、て」
「なんだそりゃ…ただの気狂い女じゃねえか」
「変だと思ったから消そうとして…、女の子が悲鳴を上げて、オカサレル、タスケテって泣いたんだ。そしたら、皆が、」
敵を見る目だった、と。
小刻みに震え、両腕で己の身を抱き縮こまる男の瞳は、暗い影を宿していた。
中身の脆い"この男"らしい事だと口の端を薄く吊り上げ、小十郎は千載一遇の好機を逃さぬよう男の分厚く綺麗な手へ己が手を重ねる。
「なら、もう、良いじゃねえか」
目を丸くし間の抜けた面をする男を横目で見やり、小十郎は緩みそうになる口許を引き締めながら言葉を繋げる。
「お前が居てどうにかなるもんじゃねえんだろ」
「そ、れは」
「策を試して、駄目だったから帰ってきたんじゃねえのか」
隣の男が息を飲む。
何とは無しに野良着の合わせ目を弛め、小十郎は暫く放っておく事だなと呟いた。
「しばらく、って…」
「十年でも百年でも好きにしろ。必要ならあっちから迎えに来る」
「でも…、おれの家族なのに…」
「向こうはそう思っちゃいねぇんだろ」
虚を突かれ情けない表情で小さく頷く男の、縋る様な群青色のいとおしさときたら。
何処の誰かは知らないが本当によくやってくれたと内心で一人ごち、小十郎は眉を垂らす男の唇へ噛み付くように唇を合わせた。
【宿狩られ男の災難】
(てめぇは俺の隣で馬鹿みてえに笑ってりゃいいんだよ)
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頻繁な帰省にヤキモチの薄黒い右目。
鰤狙いの子にポジションを乗っ取られた隊長は皆の態度にハートブレイク。
シャボンハートの耐久性はほぼゼロ。