ある村に伝わる、伝説。
漆黒の髪に金の瞳持つ吸血鬼の伝説。
数百年に一度目覚め、伴侶となる処女(おとめ)を探す。
その処女が見つかるまで、被害は続くだろう。
恐ろしい伝説ではあるが、その周期は数百年。
数千年とも言われるおとぎ話レベルの伝説。
だから皆、子供を怖がらせるための通説程度にしか考えていなかった。
***
「吸血鬼、ですか」
若い神父は村の集会所でそう、声をあげる。
彼の周りには、村の人々が集まって、困りきった顔をしていた。
その姿を見て、隻眼の神父はゆっくりと、瞬きをした。
彼の名はシュタウフェンベルク。
この村一の敬虔な神父で、村の人々も彼のことをよく慕っていた。
老若男女問わず誰にでも優しく、穏やかな気質。
頭も、器量も良い少年はまだまだ若い。
そんな彼がこの集会所に呼ばれるのは、珍しいケースだった。
少し驚いたように、しかし困惑したようにしていた神父ではあったが、村の人々から聞いた話に真剣な表情を浮かべた。
―― 伝説の吸血鬼が目覚めたらしい。
それは、恐ろしいニュースだった。
ここ数日、村の若い娘が襲われる事件が続いているのだという。
一部の娘は体の血を全て抜かれ、一部の女性は体をずたずたに切り裂かれていたという。
一部命を取り留めた女性も怯えきった様子で"吸血鬼が……"と譫言のように呟くばかり。
小さな村だ。
こんな事件が続けば、村が壊れてしまう。
事実、既にこの村を恐れて逃げ出した家もあるというのだ。
痛ましい事件の概要に眉根を寄せる少年神父。
村の人々は、そんな彼に言う。
「貴方は敬虔な信徒です、きっと邪悪な吸血鬼をも退けることが出来るでしょう。
どうか、私たちをお助け下さい……」
縋るような、人々の声。
怯えきったその様子に、少年は僅かな迷いすらその顔に浮かべることなく、頷いてみせた。
「わかった。必ず、なんとかしてみせよう」
そういって彼はさっそく、吸血鬼の根城だという村はずれの廃屋を目指して、集会所をでていく。
その背を見送った人々は、小さく溜息を吐き出した。
「申し訳ないなぁ」
「でもこうするしか……」
小さな、囁き声。
それは、生真面目で心優しい神父には聞こえない。
そこに集う人々はすまなそうに、その華奢な背中を見送っていた。
吸血鬼伝説は昔から、この村に伝わっている。
それ故に様々な噂話や逸話も存在していた。
伴侶となる乙女を見つけるまで吸血鬼は眠らない。
敬虔な聖職者を食らえば吸血鬼は再び眠りにつく。
聖職者ならば強力な吸血鬼を倒すことが出来る。
……美しい者を生贄に捧げれば他のものには被害が及ばない。
藁にもすがる思いで、村の人々はシュタウフェンベルクを吸血鬼の根城に送りこんだのである。
上手くすればこの事件が解決するかもしれない、と。
勿論、罪悪感がなかったわけではない。
しかし、ただ一人の犠牲で村が救われるなら。
そんな想いが皆にあったのであった。
***
カツン、カツン、と音が響く。
外から見るとボロボロの洋館。
まるで吸血鬼を守ろうとするかのように、そのあたり一面は暗い森に覆われていた。
シュタウフェンベルクはわざわざ夜に、その廃屋を訪ねた。
というのも、彼としてはまず、何故その吸血鬼が今目を覚ましたのかを知りたかったから、である。
彼は殺生を好まない。
例え、それが邪悪なる生き物であったとしても。
無論、村にこれ以上危害を加えるようであれば、どうにかしようと思っているが、それでも何の話も聞かずに殺してしまおう、という想いはなかった。
「此処、で違いはないはずだが……」
そう呟きながらドアに近づくと同時、ふっと背後に気配を感じた。
ふり向くより先、するりと腰を抱かれ、耳元に低い声が囁く。
「何の用事だ、綺麗な神父さんよ」
俺はまだまだ寝起きなんだが。
そう呟く声は、何だか愉快そうなものだ。
吸血鬼。
きっとその声だと思い思わず身を強張らせたが、シュタウフェンベルクは落ち着いて、腰に回された腕を解き、その相手の方を見た。
話に伝わる通りの容姿の青年がそこにはいた。
背が高い、黒髪に金の瞳の青年。
特徴的なのは尖った耳と、異様に鋭い八重歯くらい。
それ以外はまるで普通の人間のようだ。
「まじまじと見るなよ、照れるだろ」
からかうような口調でそういう恐らく、吸血鬼。
シュタウフェンベルクは怯んだ様子を見せず、彼に問うた。
「お前が、この村に住むという吸血鬼か?」
「あぁ?わかってて訪ねてきたんじゃねぇのかよ」
いちいち聞くなよ面倒臭い。
呟くようにそういった青年はふぁああと盛大に欠伸をした。
「……この村の女性を襲っていたのは、お前なのか?」
「くどいな、俺様が吸血鬼である以上、することは一つだろ」
まぁ殺す必要はないんだけどな。
小さく笑うその口の端の八重歯がきらり、と光って見えた。
シュタウフェンベルクは眉を寄せる。
そして深々と溜め息を吐き出すと、彼に問いかける。
「……どうして、今なんだ」
「はぁ?」
「どうして今、目覚めたんだ?」
お前はずっと眠りについていたときく。
それがなぜ、今唐突に目を覚ましたのか。
シュタウフェンベルクは彼にそう問いかける。
吸血鬼はそんな彼をまじまじと見つめた。
そののち、にぃと笑みを浮かべる。
そして不意に、そんな彼をぎゅっと抱き寄せた。
「な……」
「なぁ神父さんよ、名前は何てーんだ?」
教えてくれよ。
まったく話を繋げるつもりが無いかのように、彼はいう。
それを聞いてシュタウフェンベルクは一瞬面食らったが、すぐに溜息を吐いて、応える。
「……シュタウフェンベルクだ。それより……」
「へぇ?シュタウフェンベルク。俺は、エビルってんだ。
お前お前と呼ぶのはやめちゃあくれないかい?」
シュタウフェンベルクの話を一切聞くことなく、エビルと名乗った吸血鬼はいう。
それを聞いてシュタウフェンベルクはやれやれ、というように息を吐き出す。
「……エビル。それで、どうしてお前は今目覚め、この村の人を襲うんだ?」
「何故、って……無論生きるためだろ」
俺は血を吸わないと生きていけない。
眠っている間は良いが目を覚ましたらそうはいかねぇ。
そういって笑った後、彼は金の瞳を煌めかせ、若い神父に囁きかける。
「おおよそアンタは人を襲うなと言いに来た、といったところだろう。
でなきゃ俺様が寝てる昼間に此処にくるだろうからなぁ」
「……それがわかっているのなら」
「襲うのをやめろは、聞けねえぜ?
だってそうしたら俺様が死ぬからな。
だが、ひとつだけ、アンタが俺の言うこと聞いてくれるなら、俺は村の人間に手を出すのをやめてやるぜ」
どうだ、その条件を聞く気があるかい。
そう問いかける、闇の王。
シュタウフェンベルクは美しい蒼の瞳でそれを見つめ返し、ゆっくりと口を開く。
「……お前の、望みはなんだ」
その問いかけに、吸血鬼は笑う。
そしてゆっくりと、シュタウフェンベルクを指さした。
「アンタが、俺に血を寄越すんだ。
此処に住んで、俺様と一緒に過ごす。
それだけで良い。
俺は、アンタを殺しやしないし、良い取引だろう」
そういって笑う、吸血鬼。
まるで子供のように笑う彼の金の瞳を見つめていた神父は、やがて小さく息を吐き、口を開いたのだった。
―― ただ一つの条件 ――
(アンタが此処にいりゃあいい。
俺が求めた時にいつでもその身を提供できるように)
(冗談めかしたその条件。
まさかそれを飲む奴が居たとはね)