深々と息を吐き出す。
すっかり夜は更けて、空気は冷え切っている。
吐き出した吐息は真白に凍って、空に昇って消えていく。
そっとこすり合わせた手もすっかりと冷え切っていて、切れ長の金の瞳を細めながら青年……倫は苦笑をもらした。
いつもは賑やかな城も流石に随分と静かだ。
此処に拠点を移してから、大分経つ。
初めこそ多少訝し気な顔で自分を見ていた若い騎士たちも今はすっかり慣れている。
日のあるうちに外に出ることが出来ない麗花のことは知らない騎士が多いが、どうやら騎士にも日差しに弱く"幽霊"と呼ばれている者がいるらしく、別段珍しくも内容だった。
その方がやりやすくて助かる。
騎士ではなく、あくまでも客人として滞在させてもらっている形だから無暗に干渉してくる訳ではない。
部屋を借りている、とは言っても城の部屋を一室、と言う訳ではなく"錬金術"で作ってもらった一角を貸してもらっている訳なので、他者と接しないと決めれば別に接しなくてもやってはいけるくらいなのだ。
尤も、倫は"表向き"は最近話題の雑貨屋の店主な訳で、それなりに愛想よく振舞うことは忘れていないのだけれど。
とはいえ、彼が本格的に"動く"のは夜だ。
店を拠点にしていたころは一人で妹を置いていくのが不安であまり家を空けないようにしていたのだけれど……今は妹のことを見ていてくれる人間も居る。
何かあればすぐに駆けつけることもできるし、"何かあった"時にも疑うべきが少ないのはありがたいことだ。
そう思いながら、倫は夜の街を歩き回っているのだった。
夜の方が情報は集まりやすい。
昼間の街を出歩いているのは基本的に何もやましいことのない人間だ。
倫のような、或いは……"麗花を殺した人間のような"夜の世界に生きる人間はあまり出歩かないだろう。
出歩いているにしても、夜の顔は隠しているはずだ。
それをよく理解しているからこそ倫は夜の街で情報取集をしていた。
かけがえのない妹を害した人間を探すために。
とはいえ、今日も大した成果は得られなかった。
大分夜の城下町での振舞い方も憶えた。
様々な人間が集まる場所も理解した。
そこに顔を出しても違和感を持たれないように少しずつ入り込んでいくこともできるようになった。
しかし有力な情報は一切入ってこない。
まぁ、元々簡単にいくとは思っていない。
地道にやっていくしかないか、と倫が溜息を吐き出した、その時。
「倫、おかえり」
そう声をかけられて、倫は顔を上げる。
声の主を見て微笑み、ひらりと手を振りながら倫は応じた。
「ん、ただいまー、部隊長さんはまだ起きてたのー?」
部隊長さん、そう倫が呼びかけた相手は黒髪にルビーの瞳の青年、ルカ。
まだ年若いのに一部隊を任されているという彼は倫の言葉に一瞬視線を彷徨わせた後、笑みを浮かべて答えた。
「まぁ、書類の整理とか色々あって、な」
「そっか」
にこりと笑う倫。
ルカはあぁ、と返しながらその場を立ち去ろうとしない。
偶然会った、と言う訳では当然ないよな、と思いながら倫は小さく首を傾げ、彼に問うた。
「で、どうかした?」
「え」
倫の問いかけにルカは驚いたように赤い瞳を見開いている。
「わざわざ我が帰ってくるの、待ってたんでしょ?」
言い当てられた、と言わんばかりの表情の彼を見て、倫は小さく噴き出す。
誤魔化していたつもりなのかもしれないが……
この城の、と言うかこの国の人間はとても分かりやすい。
勿論それは倫にとっては好ましい意味で、なのだけれど。
「……バレるか」
自然に切り出そうとしていたのだけれど、とルカは言う。
何かしら問いづらいことを問おうとしていたようだ。
「我はそういう稼業だからねー」
涼しい顔でそう返すと、ルカがほんの一瞬、表情を歪めたような気がした。
"そういう稼業"と言うところが引っ掛かったのだろうか、と倫は思う。
この城で世話になることを決めた際、倫は自分がこの国に来た理由も妹の秘密も全て明かしていた。
中途半端な隠し事が厄介ごとを招くということは倫もよくよく知っている。
それを取引材料にして自分たちを脅すような人間ではないことを理解した上で(無論全面的に信用した訳ではないが)全てを話し、その目的の達成のために自分が動くということもとっくに伝えていた。
なのに、彼は何故そんな顔をしたのだろう。
倫がそう問うより先に、ルカ自身がその答えに近い問いを紡いだ。
「……もし、もし、お前の妹を害した人間が見つかったとしたら、倫はどうするつもりなんだ?」
その言葉に倫はすぅと目を細めた。
……それは、確かに語っていないことだ。
妹を……麗花を殺した人間を探し出す。
それが自分の目的だということは語った。
しかし、"その先"のことは、話していない。
察してはいるだろうな、と思いつつ倫は言葉にしなかったし、話しを聞いた部隊長たちも問い詰めはしなかった。
それなのに、彼は。
「それを聞いてどうするつもり?」
思った以上に冷たい声が出た。
ルカが一瞬、怯んだ顔をする。
わかっているんだろう、本当はキミも。
そう言いたげに倫はルカを見つめる。
わかっているから、だからそんなにも聞きづらそうな顔をして、誰も居ないこんな時間を見計らって問うてきた。
そうだろう?
倫はそう思いながら、ルカをじっと見つめる。
ルカは一つ、息を吐く。
それから、真っ直ぐに倫を見つめて、言った。
「……俺は騎士だ。この国の人間を守る義務がある」
毅然とした声音でルカは言う。
倫はそれを聞いて、ふっと表情を緩めた。
こういう彼らの真っ直ぐさは好きだ。
そう思いながら、彼は言葉を返した。
「大丈夫だよ、キミたちには迷惑をかけないようにするから」
「そういう問題じゃあなくて」
ゆるゆると首を振ったルカは一度目を伏せた。
それから深々と息を吐いて、呟くような声音で言う。
「……嫌なんだよ」
「嫌?」
きょとんとして倫が繰り返せば、ルカは小さく頷いて、倫を見つめながら、言った。
「……フィアも、お前のことは大切な友人だと思っている。麗花のことも。俺も、そう思ってる。友人が罪を犯すのを黙ってみてはいられない」
ルカは確かにわかっている。
聞かなくても、わかっていた。
倫がどうするつもりか、なんて。
わかった上で、止めたいとおもったのだ。
もし、本気で"復讐する"つもりならば。
そんなことはしないでほしい、と彼は訴えるのだ。
それも、罪を犯してはいけないだとか、捕まるからやめておけとか、そういう意味ではなく。
"嫌だから"と。
仲間が、友達が、罪を犯すのを黙ってみてはいられない、と。
彼はそう言って、酷くつらそうに顔を歪めた。
倫はそんな彼を見つめ、ゆっくりと瞬く。
「んん、まいったなぁ」
そう言って、息を吐く。
お行儀のよい綺麗ごとを彼が吐いたなら、冷たく返すこともできた。
しかし眼前の青年は酷く真っ直ぐな瞳で自分を見据えて、言うのだ。
友人が道を外すのを見てはいられない、と。
それも一種の綺麗ごとだ。
平和な世界で生きてきた、明るい世界を歩んできたからこそ出る言葉だ。
そう思うけれど……その眩しさが決して世間知らず故に生まれているモノではないことは倫も理解出来ている。
悲しみも痛みも争いも闇も、全てを見て、知った上で、この青年はきっと光を持ち続けているのだろう。
だからこそ、まいった、と思った。
彼は自分とは"対照的"なものだから。
道を外れてほしくない、とキミは言うけどね。
我はとっくに手遅れなんだよ。
そう言いたいのを飲み込んで、倫は微笑んだ。
「まぁ明確な回答はしないでおくよ。そのほうがお互いのためだ。そうでしょ?」
そう言って、倫は話を打ち切った。
これ以上食い下がってくるつもりならばもう少し脅して黙らせるしかないか。
そう思いながら。
ルカはそんな彼の思いを知ってか知らずか、何か言いたげな顔はしたものの口を噤んだ。
ぽつり、と呟くように問いを零す。
「麗花が望んだことなのか?」
復讐がと言う意味だろうか。
そう思いながら倫は微笑んだまま答える。
「わからないよ。其れすら聞けないまま、あの子は死んだんだから」
何もわからない。
自分が家に帰った時はあの子は既に冷たくなっていたし、僵尸となった彼女にそのころのことを問うても答えは返らない。
けれど、と倫は言う。
「でも我は赦さない。あの子をあんな目に遭わせた人間を絶対に赦さない」
それだけは言い切れる。
そう言って、倫はそっと服に忍ばせた自身の武器を撫でた。
ルカはそんな彼を見つめて、なんとも言えなさそうな顔をしながら言葉を紡ぐ。
「お前はその思いで突っ走って、何処まで行くつもりなんだよ。
話を聞いて、お前の様子を見ているだけの俺でも心配になる。……危なっかしいよ」
どうやら彼は自分を心配してくれているらしい。
倫はそう思いながら答える。
「たとえ刺し違えてでも、とは確かに思ってるよ」
家に残っていた証拠を思い返しても、素人の犯行ではないだろう。
自分と同じような稼業の、或いはもっと大きな組織の人間かもしれない。
その場合、自分で太刀打ちできるかは、微妙なところだ。
もしかしたら刺し違える形になるかもしれない。
それでも構わないと思っているのは確かだ、と倫は言う。
「我は麗花のために生きている。麗花を幸せにしてやるためなら、我は手段を選ばない。それを違えるつもりはないよ」
一番大切な妹のためなのだから、と倫は言う。
ルカはそんな彼の真っ直ぐな瞳を見て、"そうか"と呟くことしかできなかった。
「じゃあ、我はそろそろ行くよ。麗花がそろそろ心配するだろうしねー。晩安(おやすみ)」
そう言って離れていく倫の背を見送って、ルカはそっと溜息を吐き出した。
「……勝手なもんだな」
ぽつり、とそう呟く。
妹の幸せのため、と彼は言った。
その言葉に嘘はない。
けれど……果たして彼の妹は、本当にそれを望むのだろうか。
そんなことを口に出せる程自分は彼らの事情も理解できていないからと口を噤んだけれど。
「……難しいなぁ」
ガシガシと自分の頭を掻きながら、ルカはそっと溜息を吐き出したのだった。
―― 幸福を願って ――
(我が願うのはただ一つ。
かけがえのない妹の幸福、それだけだ)
(その言葉も願いも嘘ではない。
けれどそれが彼ら自身を傷つけはしないか、それが心配だよ)