わたしは、過去に縛られている。
そして、親に。兄弟に。
発症してから、わたしの昔の話を聞かされ続けた。
もう飽きたよ。
進みたいのに、後ろばかり振り返って、病んでしまう。
先輩であり、先生である人。
私はピアニストであり、その人はバイオリニスト。
小3以来の再会だった。
全く変わらない。
先生はすぐに解ったのか、わたしに本格的な音楽の世界へ誘ってくれた。
わたしは、病んでいて色々と問題がある。
それでも、もう一度やってみたくなった。
今日、一緒にやってみて、純粋に楽しかった。
久しぶりの感覚で気分が高ぶった。
身震いもした。
先生には嫌な気持ちがなく、過去の話ができた。
いまから、一年やれば、現役の頃のレベルに戻れる。
海外にだって、きっと行ける。
今まで何度も言われてきたけど、実行できなかった。
今度は、本当にやってみたくなった。
私にどこまでいけるか、わからないし、今更期待もしていない。
でも、やれることはやらないと、後悔しそうな気がする。
この気持ちを、忘れたくないから
書いておこう。
しっかりそのときを生きないと。
頭の中がすぐに色褪せてしまう。
楽しかったはずのことも、他人の体験みたいになってしまう。
思い出は思い出でしかなくなる。
単なる、記憶にちょっと入るだけ。
感情とかはくっつかない。
それで、わたしは、その瞬間しかない「音」に依存するのかもしれない。
楽器にはその瞬間の気持ちとか感情とか、想いを、のせればいい。
そういう、一瞬で過ぎ去るものや、目に見えないものが、
きっとわたしに合ってる。
過ぎ去った思い出話を語るのは、得意じゃないみたい。
例えば、読書感想文。
書けなかった。
提出をしつこく急かされても、それだけは無理な課題だった。
原稿5枚なんて、何を書けばいい?
ほかのものはなんとか誤魔化せても、そんなに長い文章書けなかった。
そんな高校生活の苦悩をちょっとだけ思い出してしまった。
何故、それだけが出来なかったのか、やっとわかった気がした。