水平線に太陽が姿を現す、夜の静寂から世界を呼び覚まさんとする様に、白い陽光が幾筋も陸を走り、海面を煌めかせる。
夜間哨戒から帰投したサーニャ・V・リトヴャク中尉は、フワフワとした自身のグレイの髪が海風に撫でられるのを心地好く感じながら、襲い来る眠気で重くなる瞼を擦って滑走路の先端へと舞い降りる。
「…ぁ」
格納庫の入口に出来の良いマネキンが一体、此方を見る様に置かれていた。
「サーニャ!」
マネキン…ではなく。そこに佇んでいた少女は、滑走路に降りて来たサーニャに気が付くと、大きく手を振りながら「お帰り」と言ってサーニャの近くまで走り寄って来た。
彼女にしてはちょっと珍しい程の、笑顔でサーニャを出迎える。
その様子にサーニャは、なぜこんな時間に、こんな所に居るの?とか聞くのを忘れた。
代わりに、あまりにも嬉しそうな彼女の態度に、自分が帰ってきたのが嬉しいと言われている気がして、くすぐったい思いが込み上げる。
サーニャは僅かに頬を染めて、はにかむように笑った。
「ただいま、エイラ」
エイラと呼ばれたその少女の金を内包する銀髪が、サーニャのストライカーユニットから生み出された風に煽られ翻る。
しかし、少女は乱れた髪も何も気にした風はなく、サーニャの後に続いて格納庫へと入った。
サーニャよりも背の高いその少女は、エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。サーニャとは同じ北欧の出身でサーニャの故郷オラーシャの小さな隣国、スオムスが故郷。
「エイラ、早いのね。ちゃんと寝たの?」
「ついさっき起きた所でサ、ちょっと散歩にナ〜」
エイラはサーニャの武器、フリーガーハマーを受け取って収納を手伝う。
『通称、「空飛ぶ鉄槌」。9連射ロケット砲。同じ501部隊のカールスラント出身のエーリカ・ハルトマン。確か、アイツの妹のウルスラが原型を考案したとか前にサーニャから聞いた様な気がするナ。』
エイラは魔力を解放して、サーニャから受け取ったフリーガーハマーを台座に降ろす。がこぉぉん、と音を響かせフリーガーハマーを載せた台座が、サーニャのストライカー発進ユニットの横に収納されていく。『魔力を解放していても結構重いんダナ。』
サーニャは夜間哨戒を一人で行う事が多い。その為、一人でネウロイと交戦になった場合にはフリーガーハマーによる爆発的な攻撃力が必要不可欠になる。
『夜の真っ暗な世界で、只でさえ心細いだろうナ…』
エイラは毎晩、自室の窓から空を見上げていた。魔導針の翠色の輝きを伴ったストライカーが夜空に舞い上がり、真っ黒な雲海に消えて行くのを祈るように見つめる。
『どうかサーニャが怖い目に会いませんように、どうかサーニャが無事で帰ってきますように。』
エイラは大抵はサーニャの帰りを眠りながら部屋で待つ、すると夜間哨戒から帰投したサーニャが大概寝惚けて部屋を間違え、エイラの部屋のベッドに倒れ込む。エイラは毎回ベッドの不自然な揺れに驚かされて起きるのだが、それでいいとエイラは思う。
サーニャにとって、わたしの側が安心できる場所だと暗に示されている気がして、素直に嬉しかった。
でも、今朝は妙な胸騒ぎがしてサーニャが帰投する予定時刻よりも大分早く目覚めた。ざわざわするような予感に急かされて、身支度もそこそこに部屋を飛び出す。
真っ直ぐ格納庫に向かい滑走路へと出ると、ナイフの様に冷たい風がエイラの白い頬を切りつける。
まだ頭も出さない太陽の、頼りない明るさしかない空に、魔力を解放して眼を凝らす。使い魔である黒狐の力を借りて、強化した視力でも、あの子の黒い機体は捉えられない。
エイラは魔力を収めると、格納庫の扉に肩を預けて寄り掛かった。自分の身体を抱くように腕を組んで、あの子の帰りをここで待つ事に決めて。
『サーニャが帰って来て、わたしがこんな所に居たら驚くカナ。』
エイラは胸騒ぎを押さえるように、着てきた青いパーカーの胸元を右手で掴んだ。
『きっと悪いことなんて起こらナイ、こういう時は明るい事を考えヨウ。』
夜明けの冷たい海風に吹かれて、少し冷静さを取り戻したエイラは、サーニャが帰って来たときにサーニャに問われるであろう、自分がここに居る理由を考え始めた。
『「嫌な予感がしたんダ。」っていうのはダメだナ。余計な不安を与えちゃうだろうし、サーニャを心配して待っていたのがばればれダナ。』
『少しだけ早く起きちゃったから散歩していた事にしヨウ。』
エイラはあくまでも、たまたま自分が此処に来た時、サーニャがたまたま帰ってきたのだとサーニャに伝えたかったのだ。
『サーニャのことが心配でずっと待ってたなんて、何だか押し付けがましいシ…それに、恥ずかしいじゃナイカ!』
やがて、エイラの悪い予感は外れる。日の出を連れてサーニャは帰ってきた。サーニャの無事を確認できた安堵感で、忘れていた眠気がどろっとエイラを襲った。が、ここで眠る訳にはいかない。サーニャから見えないように、自分の腿をつねって気を引き締める。
まずは、サーニャに笑顔で「お帰り」を言いたい。
サーニャはやっぱり驚いた様に、走り寄るわたしを見ていたけれど、いつもの様に少しはにかんで笑ってくれた。
わたしはサーニャの笑顔を見れたことが嬉しくて、ついさっきまでの不安な気持ちは何処かへ行ってしまった。
ストライカーを脱ぎ、発進ユニットから降りるサーニャに、エイラは右手を差し出した。
サーニャの左手が、遠慮がちにエイラ掌と重なる。
その手の冷たさに、「ついさっき」起きたのだとエイラは言ってはいたけれど。実はずいぶん長い時間、あの場所で自分の帰りを待って居てくれたのではないかと、サーニャは思った。
只でさえ、まだ寒い日も多い、この季節。
この人は、わたしを待って居てくれたのだろうか…?
こんなに冷えてしまうまで、何のために?
「サーニャ?」
思考に沈みかけた意識が呼び戻される。
「え?」
エイラが赤い顔をして、困った様に頬を掻いている。
「えっト、手…」
「え…、あ」
わたしはいつの間にか両手で捕まえてしまっていた、エイラの右手を慌てて離す。
「ごめんね…」
『大丈夫かな、エイラ。風邪引かないかな…?』
「いや、その…気にスンナ」
『どうしたんダロ、サーニャ。寂しいのカナ…?』
二人はお互いに、相手を思いやって。
でもお互いに口には出せずに、微妙な沈黙が降りる。
「………。」
「………。」
先に沈黙を破ったのは、やはりエイラだった。
「へ、部屋に帰るゾ!」
「…うん」
背中を向けて歩き出したエイラから、サーニャも半歩遅れて歩き出す。
格納庫を出て、薄暗い灯りしかない通路を宿舎に向かって進んで行く。
サーニャからエイラの顔は見えなかったが、エイラは少し赤い顔をして歩いていた。
エイラは意を決して、自分の後ろを歩くサーニャに左手を寄せる。
「?」
「……」
「エイラ?」
何も言わないエイラの背中と、目の前の差し出された様なエイラの左手を、サーニャは交互に見つめた。
「…」
「…」
不自然に左手を後ろの方へ浮かせたまま、エイラは変わらず歩き続けている。
繋いでも、いいのカナ…?
そぅっと、右手の指先でエイラの左手に触れる。
ぴくっと返された反応に、怖じ気づいて手を離そうとすると、指先が離れる前にエイラの掌に包まれた。
エイラは相変わらず前を向いたままで、何も言わないけれど。
きっとエイラは、こうしてわたしを受け入れることで「大丈夫ダ」とか、「側にいるカラ」とか。そういった気持ちを伝えようとしてくれているのだ。
エイラは優しいから…。
誰に対しても優しいから。気を付けないと、自分がエイラにとって特別な存在だと、自惚れてしまいそうになる。
いつの間にか、エイラの部屋の前まで来ていた。
寝惚けていないわたしは、隣の自分の部屋に行かなくちゃ。
今日はちゃんと、一人で眠らないと。
…エイラの手を離さなくちゃ。
「サ、サーニャ。その…、わたしの部屋に来ないカ?」
…ほら、そんな風に。
エイラ、未来予知じゃなくてテレパシーが使えるの?
まだ「うん」とも答えていないのに、エイラはわたしの手を引いて、エイラの部屋に入る。
「取り敢えず、眠ろう。サーニャ」
二人の手はもう離れてしまったけれど、サーニャは嬉しかった。
エイラが今日も変わらず、一緒に居てくれるから。
「サーニャ、服はちゃんと畳むんだゾ」
「うん」
二人がベッドに転がってから半刻ほどして、基地に起床のラッパが響く。
エイラとサーニャはお互いを暖めるように、寄り添って眠っている。
このあと起きる事件など、まるで関係ないように。