R氏が退職をしました。
以前からその方向で考えていることの旨は聞いていたから何となく心の準備はしていたものの、いざその時が来てみればやはり切ないものでした。
今生の別れでもあるまいし会おうと思えば会えるのだけど、この会社で一緒に仕事をすることはもう無いのかと思うと、それが悲しい。
ソウルメイトであるだけに、彼女は友人というよりも同じ課題を背負って生きている同志という印象が強かったです。価値観が似ていれば、どこか性格も似通っているところがあって、物の好みも似ていれば、見ればハッとする風景も同じであったりした。
彼女に出会えていなければ、私は未だ自分を知らず、自分を嫌いなままであったかも知れません。
人としての内面的な区切りを得たと感じたところで、彼女は静かに去っていきました。この、6月に。
近いうち両親が弟夫婦と別居することになりそうで、母親がぼちぼち転居先を探し始めています。
別居となればなぜ出ていくのが両親のほうなのかと言いますと、そのはじめ家は弟名義で購入したことにも因るのですが、方や年金受給、方や休職中の両親が家のローンを返済していくのはどのみち無理だからです。
半ば両親を家から追い出す形になるため、言うまでもなく弟は気に病んでおりますが、けれどもこのまま同居を続けていたところで両親と嫁の板挟みで苦労をするのはどのみち弟。
弟いわく、嫁は「コミュ障」と自負しているほど他人とコミュニケーションをとることが苦手な人で、それでいて頑固なんだそうです。実の両親とも腹を割って話せる仲ではないらしく、そのはじめ弟に結婚を急かした理由も「実家にいたくない」というものでした。
実家にいたくない人が、他人の家で、それも義理の両親と一緒に暮らすだなんて拷問に等しいことは想像に難くありません。
いずれはこうなるであろうことは火を見るよりも明らかでしたから、別居の話を聞かされたときは大して驚くことはなかったし、むしろ両親のためにもこのような人間性の嫁からは離れた方が良いとさえ思えたほどです。
両親に全く非が無いとも言いません。両親にもやはり性格上の癖はあった。癖は誰にでもある。ただこの嫁の場合は何となく特殊で、よほど放任主義でドライな性格の舅、姑でない限りは誰が同居をしても同じような結果になっていたのではないかと思う。
コミュ障だから悪いと言っているのではありません。それを言うなら私自身もコミュ障とまではいかないにしても他人とコミュニケーションをとることがそれほど好きではないし、どちらかと言えば別居派だから、この嫁の心理が全く理解できないわけでもないのです。
そもそも、原因もなくコミュ障になんてなりませんのでね。
先日、ちょっと立ち寄った店先で、むかし仲良くしていた同級生の母親に会いました。その同級生とは何だかんだで二十歳過ぎくらいまでは連絡を取り合っていたんですけれども、彼女が自分探しと称して県外に行ってからは自然と縁も切れてしまいました。現在は東京出身の殿方と結婚して名古屋で暮らしているそう。
そんなエピソードを聞かされて彼女のことを羨ましく思わないわけがないし、地元から出たことがない自分に虚しさも感じてしまった私。
その日の夕方のことでした。先に書いておりました事情のとおり、近いうち両親が弟夫婦と別居することになりそうですから、そのため今のところ転居先にと目星をつけている公営住宅を、母親と一緒に見に行ったのです。
私たちが空いている部屋を指さしてああだこうだ話していると、めぐるめぐる老人が二人ほど声をかけてきました。どちらの老人も口を揃えて話したのは孤独死のこと。
一方の老人はこの公営住宅の住人で、ついこのあいだ上の階の住人が遺体で発見されたそうなのです。遠方に嫁いでいた娘さんが、あとに部屋を片づけに訪れていたという何とも笑えない話を聞かせてくださった。
私はふと、つい数時間前に聞かされた遠方に嫁いだ同級生のことを思い出しました。憧れと現実は対極にあることを教えられた、なんだか不思議な一日でした。
明日から母親の放射線治療が始まります。本人はこの治療を受けるか否かでだいぶ悩んでおりました。腋窩郭清術を受けた患者が放射線治療を受ける場合、副作用としてリンパ浮腫を引き起こす確率が通常よりも2割程度上がるそうです。患うことが無いよう祈ってはいるが・・・。
術後、ホルモン療法と並行して経口タイプの抗がん剤を服用しておりましたが、抗がん剤のほうは一旦お休みすることになります。