──気が付くと、砂浜に立っていました。
幾重にも重なり合った鈍色の雲。
ありったけの墨汁がぶち撒かれたのかと錯覚する暗い海。
骨を細かく砕いて散りばめたような真っ白な砂浜。
波の音も、風の音も聞こえません。
耳が痛くなる程の静寂を破ろうと喉から絞り出した音も、私の口を離れたそばからほろほろとかたちを失います。
生ぬるいはずの空気は、私の脳を焼き尽くしてしまいそうな程熱を持ち、私の吐き出す息を白く塗り替えてしまう程に冷え冷えとしています。
そして、灰の匂いが何処からか漂っています。
その匂いはほんのり薫る程でしたが、息を吸う度にすべての内臓が灰で満たされていくような、なんとも不快な気持ちになります。
辺りをきょろきょろと見渡しました。
何もありません。
誰も居ません。
そっと浜辺に沿って歩き出します。
そこには何もありません。
少し足早に歩きます。
そこには何もありません。
ぴたりと立ち止まります。
そこには、やはり何もありません。
一瞬の後、狂ったように声を上げながらめちゃくちゃに駆け出します。
誰か居ませんか。
誰か居ませんか。
誰か。誰か。誰か。
不思議なことに、蹴りあげた砂が舞い上がる度、不快な匂いは段々と濃くなっていきました。
足音さえ呑み込む静かな世界と対称的に、頭の中では無数の音たちがガヤガヤと騒ぎ立てます。
視界がチカチカ瞬き、ドクドクと心臓が悲鳴をあげています。
ガヤガヤ。チカチカ。ドクドク。
ガヤガヤ。チカチカ。ドクドク。
ガヤガヤガヤ。チカチカチカ。ドクドクドク。
ガヤガヤガヤガヤ。チカチカチカチカ。ドクドクドクドク。
気がつけば、両の耳を押さえて座り込んでいました。
うるさい。うるさい。うるさい。
灰の匂いはいよいよ増すばかりで、どろどろと吐き気が込み上げてきました。
しかし、堪らず口からオエッと吐き出したそれは、真っ白な砂でした。
吐き出せど吐き出せど、白い砂は酸素と共にまた入り込み、ちっともきりがありません。
私の身体は、灰に冒されてしまった。
灰から逃げようにも、どこまでも砂浜は広がっています。
いっそ海に飛び込んでしまおうか、そうも考えましたが、海は海で墨汁の味と匂いがするのだと、何故かちゃんと知っていました。
立ち上がることも、ひいてはまともに呼吸をすることさえままなりません。
あまりの苦しさに、とうとう泣き出してしまいました。
ですが、零れ落ちる涙さえも、身体に砂が詰まっているからでしょうか、灰の匂いがします。
灰を掻き出したい。
私の身体を脅かす灰の砂を、一粒残らず掻き出してやりたい。
灰に冒された脳味噌で切に願いました。
すると、神様が願いを聞き届けてくれたのでしょうか。
目の前で砂がざあっ、と立ちのぼり、あっという間に真っ赤な火掻き棒が出来上がりました。
燃えるようなその色は、この世界で、なんて美しいのでしょうか。
恐る恐る手を伸ばします。
そうっと触れてみると、確かな金属の感触がありました。
震える手でしっかり握り締めると、まるで勇気付けてくれているような、誠実な冷たさと温かさが伝わってきました。
これで、やっと灰を掻き出せる。
さあ。さあ。両手でちゃんと握って。口を大きく開いて。
この身体を弄ぶ、忌々しい灰を掻き出してやろう。
奥の奥まで一気に引き入れて、根こそぎ追い出してやる。
さん。にい。いち。
─勢いよく差し込んだ棒は、その瞬間ざあっ、とかたちを崩し、真っ赤な灰がきらきらと口から滴り落ちる映像を最後に、私の意識は白に覆われました。
──気が付くと、砂浜に立っていました。
幾重にも重なり合った鈍色の雲。
ありったけの墨汁がぶち撒かれたのかと錯覚する暗い海。
骨を細かく砕いて散りばめたような真っ白な砂浜。
波の音も、風の音も聞こえません。
耳が痛くなる程の静寂を破ろうと喉から絞り出した音も、私の口を離れたそばからほろほろとかたちを失います。
生ぬるいはずの空気は、私の脳を焼き尽くしてしまいそうな程熱を持ち、私の吐き出す息を白く塗り替えてしまう程に冷え冷えとしています。
そして、灰の匂いが何処からか漂っています。
よせては返す波のように。
よせては返す波のように。