う〜ん
ここまで来て真田さんの、
「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかないか」て台詞で煙に巻かれるとは思わなんだ
コスモリバースシステムはイスカンダルでの説明でも「思い」という(大事なんだけど)捉えどころがあやふやなモノが必要と言うイマイチ科学的じゃない感じだったのだが、真田さんがそーゆー納得のしかたで説明するとは思わなんだ
それを踏まえてのワタシなりの解釈。
「ヤマト」という地球人の「思い」の詰まった艦を器の基礎にして「青い地球の記憶」を持った「古代守の記憶」(もしくは「古代守の心」というか)というソフトウェアを組み込んだモノがコスモリバースシステムなのかな?
生きた(もしくは生きてた)人間の人格や記憶をコンピューター等に仕込むというのはSFではよくある話だから、それ系かそれの亜流と考えていいのかな?
とりあえずそんな風に解釈しておこう。
しかしこのソフトウェア人間の記憶だから、意志も持ってたりする
だから地球人を懐かしがって艦内アチコチに幽霊のように出没。
あげく弟の恋人甦えらせる為にシステム作動
この兄弟は〜
公私混同が過ぎるだろ〜
沖田艦長がもう危なかったので、沖田艦長の死を見越して守がシステムを森に対して発動させた後に沖田艦長(の記憶)をシステムに取り込んむ算段だったのかと終わってみれば考えられる。
守のつぶやき。
沖田艦長の死と共に再起動したシステム。
その辺りからの推測。
オリジナルでは沖田艦長の死と引き換えに森が息を吹き返したような描写だったが、出渕版はそこにワンクッションというか前後させ、システムの意志を介在させて蘇生させた。
これで偶然の奇跡感はなくなった。
もっともその秘密は視聴者しか知り得ない。
古代はなぜ森が甦ったかは知らない。
真田さんはなぜシステムが作動したり再起動したりしたのか知らない。
古代進という青年、オリジナルと出渕版とどちらが凛々しいかと言えば、全体にはオリジナルの方がガッツリ熱血で凛々しいと思うのだが、最終回に関しては出渕版の古代進の方がいいなあ。
オリジナルでは森の遺体を抱いて艦内をウロウロするが、出渕版は(皆に見透かされてはいるが)周囲に気を使い加藤&原田を先頭きって祝福するという男前をみせている。
悲嘆に暮れる相原に檄を飛ばしている。
メソメソを周囲にまき散らさず孤独に悲しみ、本当に森が死んじゃった時も箝口令して周囲に気を使い、それまで公私混同男と思ってたが、ここまで着て公私をちゃんと分けている。
対応が大人になった!
そしてちゃんと蘇生を果たしてから皆の前に登場!
この方がみんなの気分がいいよね。
それに密かに蘇生したからキス出来たんだし
加藤&原田カップル
堅物加藤が航海中に仕込むとは思わなんだ(笑)
そーゆーコトがあるとすれば星名&岬カップルだと思ってた。
パーティーで加藤に古代に対するアノ台詞を言わせたかった演出上かなぁ。
篠原は山本とカップルになれなんだ
これからも頑張れ篠原
沖田艦長が亡くなる時のシチュエーションと台詞がオリジナルそのままなのは嬉しかった。
やっぱりこの名シーンは外したらあかん。
佐渡先生がみんなに艦長の死を伝えられないシーンは森の蘇生を静かに喜ぶシーンに変わってたが、けどまあ自然だわ。
出渕版最終回の一番の名セリフは島の、
「あるんだな
こーゆーの
」だと思う(笑)
あそこにいた全ての人の言葉を代弁してる。
オリジナルを知ってるから、ついつい比べて見てしまう事が多かったが、オリジナルの方が良いとか新版の方が良いとかいう気は全くない。
オリジナルはヒーローのいない群像劇(それでも古代視点だったり古代の活躍は多かったが)という同時のSFアニメにはなかった画期的なモノだったし、
新版もオリジナルをよく知ってる出渕さんが更に登場人物を増やしてヤマト内の人間ドラマを深めたし(そして古代の活躍は減った)、ガミラスの事情も掘り下げてこちらのドラマも深かった。
初めは現代風にアレンジしただけのリメイクと思ったが、回が進むにつれ出渕さんの独自性が発揮されていったように思う。