続きです。
陳情書に目を通したユーリは軽く息を吐き、書類をフレンに返すとベッドに腰掛けた。そのままブーツも脱がずに胡座をかいてフレンのほうを向く。
「まあこんなこったろうと思ったがな」
「時々は自分で街の様子を見に行くことにしている。心配はしてたんだが、直接こんなものをもらうとは思わなかったよ」
「連中、なんでわざわざおまえが来るまで待ってたんだ?別に直接じゃなくても、駐留してる騎士にでも言やいいじゃねえか」
「…ユーリは意地が悪いな。その陳情書を読んだ上で、僕に説明させる気かい?」
陳情書には様々な訴えが書かれていた。それこそ、フレンがどうにかする必要のないものも少なくはなかったが、ユーリはどうしてもひとこと言ってやらないと気が済まなかったのだ。
「市民を護る騎士が、魔物に怖じけづいて任務放棄とはね。はっ、たいしたもんだ」
結界がなくなってから、各都市は城壁や砦を新たに築いたり警備の兵士を増やしたりといった対策を取っている。
エアルの乱れが収まり、魔物も幾分大人しくなったらしい。だがそれはあくまで戦闘能力がある者から見たらの話で、剣を持たない市民を護るために騎士団はより力をつける必要があった。
戦うのはまだいい。だが、傷を負った時、以前のように治癒術ですぐ治すというわけにはいかない。その為、怪我を負った騎士が魔物との戦闘に怖れをなし、街の近くに魔物が出て来ても退治のために動いてくれない、というのだ。
「ったく、ガキかっての…。そりゃオレだって痛いのは嫌だけどな、そんなら騎士なんか辞めちまえってんだ」
「…返す言葉もない」
勿論、全ての騎士がそんなわけではない。むしろ少数派だろう。だがたまたま、そのような者が警備にあたることになった地域の住民はたまったものではない。
駐留している本人にいくら言ったところで埒が開かず、時折視察に来るフレンに縋るしかなかったのだ。
「んで、どうすんだよ?オレ達の出番か?」
「君達にも依頼するかもしれないが…結局、一時凌ぎにしかならない。人員の再配置と、訓練の強化。後方支援のための精霊魔術の研究と習得。住民も、それを護る立場の者も、自らの役目が全うできるようにしていくしかない。」
「まあ…そうだろうな。でもな、フレン。もっとオレ達を頼れよ。ギルドの連中うまいこと使って、みんなで出来る事やろうぜ。何でもかんでも溜め込むなって」
「ユーリ……」
「…それとも、」
フレンの目を真っ直ぐに見つめる瞳が、ほんの少しだけ揺らいだ気がした。
「オレら、頼りないか?」
「……っ!そんな事はない!!」
思わず大きな声を上げたフレンを、ユーリは静かに見つめて言った。
「……。ちょっと、おまえの気持ちを確認したかったんだよ。試すような事言って、悪かったな」
騎士団とギルドの仲は以前ほど険悪ではない。むしろかなり良好といえるだろう。それでもまだ、どちらかだけが活躍すれば、いい顔をしない者が必ず出る。
ユーリからしてみれば、いちいち気にしていてはキリがないと思うのだが、生真面目なフレンはどうにかして双方のバランスを取ろうと必死になってしまう。
「ギルドの連中なんざ、んな細けえ事気にしてないって。つか逆にあんまり気ィ使ってっと、舐められてるとか言って、勝手に魔物退治しに行っちまうかも知れねーぞ?」
「それは君のところだけだろ?」
「ははっ、そうかもな。…とにかくさ、あんま難しく考えすぎんなって。まだまだこれからだろ?この世界は、さ」
「ユーリ………」
胸が苦しくて、フレンは何も言えなかった。皮肉混じりで口は悪いが、ユーリは一生懸命に自分を慰め、励ましてくれる。
彼と話をするだけで、心が軽くなる自分がいる。
自分とユーリは選んだ生き方が違っても、目指す先は同じなのだ。なのに、自分は事あるごとに躓いて、その度にユーリという存在に助けられている。
自分にとってユーリがどれだけ大切なのかということを改めて思い知らされて、フレンは苦笑した。
そうだ、きっとこの感情に名前を付けるとしたらひとつしかない。今さら自覚するなんて。
「何ニヤニヤしてんだよ、気持ち悪ぃな。ちっとは前向きになったか?」
フレンの気持ちを知る筈もないユーリがいつの間にか傍らに立って笑っていた。
このまま抱き締めたら彼はどんな反応をするんだろうか。
そんな考えを必死で振り払い、フレンは無理矢理に笑顔を作って言った。
「ありがとう、ユーリ。…大丈夫だ」
ユーリは一瞬眉をひそめたが、すぐに元の様子に戻って、そっか、とだけ言うと、部屋にやって来た時と同じように窓に向かって歩き出した。
「もう帰るのかい?」
「オレ、ずっとあっちこっち行ってて、久しぶりに帝都に帰ってきたんだよ。だから疲れてんの。今日はもう帰って休むから、おまえもさっさと寝ちまえ」
それが自分を休ませようとする為のユーリなりの気遣いだということは、フレンには痛いほどわかっていた。
それでもたまらなく寂しくなる。
もう少しでいい。あと少し、自分と一緒にいて欲しい。
そんな気持ちを抑えられず、思い切ってユーリに問い掛けた。
「…そんなに疲れてるなら、泊まっていくかい?」
しかし案の定というか、あっさり断られてしまった。しかもどうやら、というか確実にこちらの意図は伝わっていない。期待はしていなかったが。
「は?バカ言ってんなよ。城の中でなんてゆっくり寝られるわけねえだろ。余計疲れるっての」
「ここで寝たらいいじゃないか」
「ここで、って…」
ユーリは部屋を一瞥し、わけわかんねぇな、と呟く。
「ベッドひとつしかねえじゃん。おまえ、客を床に寝かす気かよ。それとも何、わざわざオレのために豪華な寝床を用意してくれんの?」
ふざけて言うユーリに、フレンは内心で溜め息を吐いた。
ユーリはフレンが自分の事をからかっていると思っているのだろう。だから同じように軽口で返しているだけなのだが、今のフレンはその反応が切なくて仕方ない。
「それでもいいけど、そのベッドも君と二人で寝るには充分な広さだと思うよ?」
「いい歳した大の男が二人一緒にぃ?ぞっとしないな」
「子供の頃はよく一緒に寝たじゃないか」
笑顔で話すフレンを横目に、ユーリは思いっきり溜め息をつきながらとうとう窓枠に足を掛けた。
「はいはいガキの頃はな。おまえやっぱ疲れてんだよ。そんな台詞はオレじゃなくて女誘う時に言ってやれ。…しばらく箒星にいる。下町の様子はオレも気にしといてやるよ。じゃあな!」
「…まったく…」
ユーリが消えた後の窓辺で揺れるカーテンを見つめ、フレンは胸の奥に生まれた熱をただじっと感じ続けていた。
ーーーーー
続きます