もっと昔は素直だったはずだ。いや、今だって素直じゃないわけじゃない。
人一倍傷付きやすかったし、人一倍根に持ちやすかった。だから、人一倍優しかった。けれど、ではなく、だから。
傷付いてしまうひよかだから、絶対誰のことも傷付けたくなかった。その苦しさを相手に与えてしまうわけにはいかないと思った。
傷付けてしまう連中と同じようにはなりたくないと思ってきた。
だから、いつだって相手が絶対言われたくないであろうことばを避け続けることができて、絶対に間違わなかった。間違わずに生きてきた。
間違わずに生きてきた?
ひよかはゆっくり階段を昇る。
菜々花が死んで、そろそろ一年。相手が絶対にほしくない言葉がわかる。相手を絶対に傷付けずにいられる。
それは逆に、確実な傷つけ方を知っていることでもありえた。
だから、ひよかは菜々花を徹底的に傷つけることができたんじゃないか。どこまでも追い込むことができたんじゃないか。
西浜は泣いた。
ろくでもない西浜が、大声で泣いて、自分を責めていた。
ひよかも泣いた。西浜が泣いているから、泣いた。
西浜が菜々花の死を悲しんでいるから、泣いた。西浜が菜々花を好きだから、泣いた。
だけど、次第に笑えてきた。ひよかが永久に幸せになれないように、西浜も永久に幸せになれなくなったから。
西浜もひよかも、これで永久に不幸せ。おあいこおあいこ。
ようやく世界は輝き出す。埋もれながらびかびかと、汚いネオンに照らされて。そんなイメージが駆け巡る、そんな宇宙がひよかの中を満たしていく。その中心を泳いでいるのは、焼けただれたような黒い皮膚の、黒島、黒島がひよかを内側から満たしていく。もはや、ひよかはひよかですらなくなっていく。むしろ、黒島がひよかだったのかもしれない。それくらい、自然に黒島がひよかを侵食していく。
女とクロシマが、部屋に入る。がさりがさり。
ビニール袋の揺れる音。あの日のひよかが聴いた音。