こんばんは、えもいの使いどころがよくわからないわたしです
この先も“聞いたことはあっても使えない言葉”という経験が増えていくのかと思うと寂しさで胸いっぱいです


先に述べておくが今回のメモはすごくのろけるぜ…
心が台風のごとく荒れている者はこれ以降は読むんじゃないぞ






けつこんしきで使う写真を生きるとお互いの実家に行って漁ってきた週末なんですけど、なんかこれがえもいつてやつか〜〜?と思う感じでハワワとした時間だったよ

小さい頃の写真は本当に今の自分が見てもかわいいやんけと思う愛くるしさがある
5歳を過ぎたあたりから小狡い顔になってきてて、調子乗ってる感じがなんかもうこんな時から…?と思ったりする

小学校に入るともう全然ダメで、中高はほんとに降参状態でした
高校生のわたしの尖り方が半端ではなかった
眉毛がない
当時コテコテの古着が流行ってさ
薄くて短い眉毛がいかしてたんだよね
わたしもそれに倣い薄くて短い眉毛のわけわかんない髪型をしてましたが、眺めて2秒でライフゼロになるヤバい威力でしたな

でもね、その尖ったわたしの高校時代がなせか生きるに刺さったらしくてね!?(笑)
むっちゃかわいがられたんですよね

そうでなくても写真を見ている間は体感ですが毎時間あたり20回はかわいいと言われていた気がするけどな

『みて、このとがった高校時代のわたし』

『かわいい』

『いやかわいくはないだろ(笑)』

『かわいい(圧)』

『そんなに…?(笑)』

『うん…新鮮…』

そんな会話して、しばらくして生きるの方を見たらその写真がポケットにしまわれてて、ちょっと!(笑)となるわけです

『式に使わないからいらないよ!』

『でもかわいい』

『え〜…?(笑)ならその写真は生きるにあげるよ』

『うん』
↑うれしそう


すごい高校生のわたし愛されるじゃん!!!!

『でもさー、わたしこの時の生きるにさー』

『やめよう!?それ以上言うのはやめようね!』

『…振られてる、』

『やめよう!!!』


ちなみにあげた写真は生きるの作業机の写真立てに飾られてます
むっちゃ愛されるじゃん!!!(笑)


あ、わたしの話しかしてませんが、生きるも例に漏れず眉毛ないマンでしたよ!
高校生以降からは眉毛の濃淡と、髪が長かったり短かったりの変化が奥ゆかしかったです(?)
生後数ヶ月ですでに角刈りになるくらいの毛量だったらしいのは完全に愛いだね…!!!

わたしは大学から今にかけての写真は体型から違わず自分なのでなんか落ち着いてます
無でいられるというのかな。ライフは削られないね

意外と二人で撮って残ってる写真というのがなくて、画像はたくさんあるんだけども、次はツーショットの選別に入ります
長い道のりである


余談だけど写真を見返していたら母も兄も祖母も父も若いわけ、当然だけど
母は21で兄を、25でわたしを産んでいるのでわたしが幼い頃の写真に残ってる母は年下かいな!とおったまげるわけですよね
母が年下ってちょっと…解釈違いがすごい…混乱する…

そして当時いたいぬのサスケも出演していた。雑種だったろうけど真っ白でもふもふのコロコロでかわいい見た目をしており、叶うならばぜひ今のわたしが撫でたかったなと思いました!
など写真のおかげで懐かしい気持ちになりますね〜

生きるの写真も見られて大変楽しかったです。うふ
画像は成人式の二人です
とにかく小さく加工したので雰囲気を感じ取ってください

10/8