わたしの中のポエミさがポエよ…と暴れている(よって暴れることとする)


生きる氏宅からの帰りのバスの中、窓越しに見える月があまりに綺麗で初めは街灯か何かだと思った。あんなにくっきりとして綺麗な月なんて嘘だと思った


月も虹も、綺麗なものだと知っているのに、綺麗だと思う心を止められないね
見慣れていないから?ばかいえ子どもの頃からもう何百回と見ているのに見慣れないとかあるかよとも思う

月なんて、100年ぶりの綺麗な月とか、そういうの何度もあるし、きっと見てる。なのにその綺麗さを記憶に留めておけないって不思議。わたしだけかな
目に焼き付けているのに、今日の月はあの日の月には劣るとか思ったことある?わたしはない
みんなおんなじなんだもん。みんな同じく綺麗だ。見上げると月がある、それだけでまずは感動でしょ

綺麗な月を死ぬまで覚えていられる方法なんて少ないと思う
できるとすれば強烈な記憶で結ぶしかない
たとえば好きな人と、今日みたいな寒い夜に一緒に帰って一緒に綺麗な月を見上げてぽろっと好きですとか言ってみろ、今日見上げた綺麗な月のことを二度と忘れないんだろうよ。今日の月を自分の記憶の中に閉じこめておけるなんて羨ましいな、ケッ!

でもわたしにももしかするとあんな夜やそんな夜はある。その夜だって月がはげそうなほど綺麗だったのかもしれない
もし見ていたんだとしても今となっては覚えてないけども
となると、綺麗だった月を覚えていられることなんてやっぱり無理なのかな

美しいことを知っているのに、見上げてはいちいち目を奪われて綺麗だと感じてしまうんだろうな、あほみたいにきっと死ぬまで

何が言いたいかというと恋する人たちを応援したいってことです
月が綺麗ですから